劉丞
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劉 丞(りゅう じょう、? - 258年)は、中国の三国時代の呉の武将・政治家。名前の表記には劉 承ともある。[1]。
生涯[編集]
劉丞と劉承は同一人物とされている[1]。劉承は騎督であり、253年に諸葛恪が孫峻に殺された際に諸葛恪の息子である諸葛竦を討った[1]。
劉丞の記録はそれ以後で256年に大司馬の滕胤が孫綝の誅殺を計画すると、劉丞は孫綝から爵位を餌にされて滕胤を討伐した[1]。258年に皇帝・孫亮が孫綝の誅殺を計画した際には全尚・全紀と共に孫亮に協力したが、全尚の失敗により計画が孫綝に露見して計画は頓挫し、劉丞は孫綝の弟・孫恩によって蒼龍門外で殺害された[1]。
『三国志演義』では第113回で登場し、史実どおり謀反を計画したとして全尚と共に一族皆殺しにされている。