利用者:パンダ会長/Sandbox
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冷戦(れいせん)とは、冷たい戦争とも呼ばれ、実際に戦うのでは無く、第二次世界大戦後のソ連とアメリカの様々な対立を簡単に表した言葉。アメリカが西側。ソ連が東側と言われている。
概要[編集]
- 両国の対立は第二次世界大戦終結前から、始まったとされており、大戦末期の1945年のヤルタ会談て行われた、アメリカとソ連の戦後の分割協定から始まるとされる。
- その後日本の降伏によって大戦は終結し、日本は連合国の統治される事と成った。ソ連は大戦末期に日本の傀儡国家の満州国や朝鮮半島を占領していたが、アメリカは日本を資本主義国家にしたかった為、海を越えて隣に共産主義国があると不都合と考えたアメリカはソ連に朝鮮半島を北緯38度線を境に分割統治する事を提案し、ソ連も受け入れた。
- 1946年に国連はイギリス第一回総会を行い核兵器や今後について話合われたが、ソ連は一部問題について強硬な姿勢を取った。同年にウィンストン・チャーチルによる鉄のカーテンの演説が行われ、欧州諸国の緊張状態について鉄のカーテンと言い表し冷戦を象徴する言葉と成った。
- 1947年にはアメリカの欧州の復興を目指したマーシャル・プランが発表される。東欧諸国には受け入れるつもりであった国があったがソ連の圧力によって断念せざるを得なかった。
- 1949年にNATOが設立する。NOTOはソ連を仮想敵国とし、増長するソ連に牽制する目的もあった。ソ連は対抗するかの様にワルシャワ条約機構を設立し、東欧諸国を加盟された。同年には、ドイツが東西に分断され、ベルリンも東西に分割された。ソ連は西ベルリンを封鎖したがアメリカは、空から物資を西ベルリンに輸送した。またソ連はこの頃核兵器の開発に成功している。
- 1950年には、朝鮮戦争が発生した。北朝鮮の金日成は、ソ連のスターリンに度々戦争の許可を求めており、最初は断っていたソ連であったが、1949年に中華人民共和国が樹立した事や核兵器の開発成功等から中国が援助するならという条件で戦争を許可し朝鮮戦争が発生した。ソ連は積極的な援助は避けたが、戦闘機や銃などの兵器を北朝鮮に援助した。