六浦藩

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六浦藩(むつうらはん)は、江戸時代中期から明治時代初期まで存在した武蔵国である。藩主家は譜代大名米倉氏。石高は1万2000石。藩庁は六浦陣屋。現在の神奈川県横浜市金沢区に存在した。別名を金沢藩(かねざわはん)という。

概要[編集]

享保7年(1722年)、米倉忠仰が下野国皆川藩から武蔵国久良岐郡六浦に陣屋を移転したことで立藩した。ただし、享保7年はあくまで忠仰が江戸幕府に移転願を出して認められた年であり、正式に陣屋を移したのは享保8年(1723年)である。

ただし1万2000石の小藩であるため、宝暦7年(1757年)には年貢増徴を5か年にわたり行なっている。また、第3代藩主の米倉昌晴若年寄まで昇進したが、田沼意知佐野政言暗殺された際の不手際により処罰されたりしている。

この藩は米倉氏が8代続いて明治維新を迎え、明治2年(1869年)に版籍奉還を迎え、2年後の廃藩置県によって消滅した。

歴代藩主[編集]

米倉家
譜代。陣屋。1万2000石(1722年 - 1869年
  1. 忠仰(ただすけ)〔従五位下・主計頭〕
  2. 里矩(さとなり)
  3. 昌晴(まさはる)〔従五位下・丹後守〕
  4. 昌賢(まさかた)〔従五位下・長門守〕
  5. 昌由(まさよし)〔従五位下・丹後守〕
  6. 昌俊(まさのり)〔従五位下・丹後守〕
  7. 昌寿(まさなが)〔従五位下・丹後守〕
  8. 昌言(まさこと)〔従五位下・丹後守〕

幕末の領地[編集]