伴野信守
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伴野 信守(ともの のぶもり、? - 天正10年11月3日(1582年11月28日))は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。官途は宮内少輔[1]。子に貞長[2]。
生涯[編集]
父は伴野信直(兵衛尉、讃月斉全真)[1]。伴野家は武田家に早くから従った国衆のため、軍役などで低くされるなど厚遇を受けていた[1]。諱の信も武田信玄から与えられた偏諱である[2]。元亀年間に父が隠居し出家したため、家督を相続する[1]。武田勝頼の時代に三河作手城に在番した[1][2]。天正10年(1582年)の武田征伐で武田家が滅亡し、直後の本能寺の変で織田信長も死去した後、信守は同じ武田家の旧臣である依田信蕃によって殺害された[2]。ただし、父親と息子は生き延びている[2]。