井出伝右衛門尉
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井出 伝右衛門尉(いで でんえもんのじょう、生没年不詳)は、戦国時代の武将。今川氏、続いて朝比奈氏の家臣。駿河富士郡狩宿(現在の富士宮市)の土豪[1]。父は井出新三か[1]。
生涯[編集]
幼名は駒若。最初は今川義元に仕えて北条氏綱との河東一乱では富士郡内のほとんどの豪族が氏綱に属す中で井出は義元に忠誠を尽くした[1]。天文8年(1539年)1月18日に義元から父と同じように富士上野の関銭徴収などを認められている[1]。時期不明だがその後に伝右衛門尉を称し、永禄4年(1561年)9月26日に一族の井出右京亮が今川氏真より先代の義元から認められていた権利を保障されている[1]。永禄5年(1562年)2月24日に義元と同様に氏真から関銭の徴収の権利を認められた[1]。
今川氏が滅亡すると同僚だった朝比奈信置に仕え、天正4年(1576年)8月5日に信置から駿河賀島(現在の富士市)や方上(現在の焼津市)に50貫文の所領を与えられ、相当の軍役を命じられた[1]。天正10年(1582年)に甲斐武田氏が滅亡すると駿河狩宿に在住した[1]。