与板町
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与板町(よいたまち)は、かつて新潟県三島郡に存在していた町である。平成18年(2006年)1月1日に隣接する長岡市に編入されて消滅した。
概要[編集]
新潟県の中西部に位置する町である。戦国時代には上杉謙信の重臣であった直江実綱、上杉景勝の重臣であった直江兼続が与板城主として支配していた。慶長3年(1598年)、直江兼続は豊臣秀吉の命令で主君・上杉景勝と共に会津・米沢に移封され、与板城はこの際に廃城となった。江戸時代になると、長岡藩の牧野氏の分家が1万石で、次いで彦根藩の井伊氏の分家である井伊氏が2万石で与板藩主として入り、当地は陣屋町として繁栄すると共に、信濃川の舟運を利用した河港場として、近郷の農村部に物資の集散地を兼ねて賑わいを見せた。
明治22年(1889年)4月に市町村制が実施された際、与板町が誕生する。明治34年(1901年)11月に本与板村を編入し、昭和30年(1955年)3月に大津村の一部である黒川村を編入し、昭和32年(1957年)7月に大河津村の一部を編入し、昭和34年(1959年)2月に寺泊町と一部の境界変更を行なった。
この町域北西部は海抜150メートル前後の三島丘陵がある。南東部には平坦地が開けており、ほぼ中央を黒川が北に流れ、東境沿いを北に流れて信濃川に注いでいる。中北部の黒・信濃両川の合流点西方の山麓に中心部の与板の町並みが形成されている。
平成の大合併では出雲崎町、和島村と共に「良寛町」成立を目指していたが挫折。隣接する長岡市への編入を選択したことにより、平成18年(2006年)1月1日に消滅した。