上杉氏憲 (深谷上杉氏)
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上杉 氏憲(うえすぎ うじのり、? - 寛永14年1月22日(1637年2月16日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。深谷上杉家8代当主。後北条氏の家臣。武蔵国深谷城主。長尾景仲の仍孫に当たる。子に憲俊、憲成、憲国。
略歴[編集]
上杉憲盛の子として誕生。母は太田資顕の娘。兄弟姉妹に深谷吉次、成田泰喬正室。この上杉氏は関東上杉氏の一流で、武蔵国深谷城を本拠とする国衆であり、後北条氏に属して他国衆に位置付けられていた。仮名は三郎。諱の氏憲は後北条家からの偏諱である[1]。
天正3年(1575年)、父・憲盛の死を受けて家督を継ぐ[1]。天正6年(1578年)9月13日に北条氏政の養女(氏政の従兄・北条氏繁の娘)を正室に迎えた(『深谷上杉系図』)。
天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐では主家の後北条家と運命を共にして戦後は没落。浪人となって信濃国に居住し、寛永14年(1637年)1月22日に死去。法名は嘯松院殿賢翁静詰大居士[1]。