上杉持房

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上杉 持房(うえすぎ もちふさ、生没年不詳)は、室町時代中期の武将。父は上杉禅秀。兄弟に憲方憲秋憲春快尊禅欽蔵主教朝。子に教房憲秀。通称は三郎[1]。諱は持憲(もちのり)とも言われる[1]。官途は中務大輔[1]

生涯[編集]

応永24年(1417年)に父の禅秀が足利持氏により反乱を鎮圧されて自殺すると、京都に逃れて叔父・上杉氏朝の庇護を受けて第4代将軍・足利義持や第6代将軍・足利義教に仕える幕臣となった[1]永享12年(1440年)に結城合戦が起こった際には義教の命令で東海・東山の軍勢を率いて鎌倉に入り、結城氏朝攻撃に加わった[1]

法名は大成常衍という[1]

脚注[編集]

  1. a b c d e f 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典コンパクト版』新人物往来社、1990年、P79

参考文献[編集]