快尊(かいそん、明徳4年(1393年) - 応永24年(1417年))は、室町時代前期の僧侶。父は上杉禅秀。兄弟に憲方・憲秋・憲春・持房・禅欽蔵主・教朝。大納言法印・実性院と称した。第22代鶴岡八幡宮別当[1]。
西南院弘賢から受法を印可され、宝幢院宮大僧正から灌頂を受ける[1]。大倉熊野堂・赤御堂・上総八幡などを経て、応永23年(1416年)8月に第22代鶴岡八幡宮別当となる[1]。2か月後の10月に父の禅秀が上杉禅秀の乱を起こし、翌年に足利義持の支援を得た足利持氏の反攻を受けて禅秀が自殺した際、快尊は小袋坂で自殺した[1]。享年25[1]。