三草藩
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三草藩(みくさはん)は、江戸時代中期から明治時代初期にかけて播磨国に存在した藩である。藩庁は三草陣屋。藩主家は譜代大名の丹羽氏。石高は1万石。現在の兵庫県加東市(旧加東郡社町)に存在した。
概要[編集]
元文4年(1739年)、越後国頚城郡の高柳藩主であった丹羽薫氏は、江戸幕府から大坂定番に任命されたのを機として、所領を美作国・河内国に移された。寛保2年(1742年)、薫氏は所領を播磨国多可郡・加東郡・加西郡・美嚢郡など4郡に移され、33村1万石で加東郡上三草に陣屋を構え、三草藩を立藩した。この丹羽家は織田信長に仕えて重臣となった丹羽長秀とは別の丹羽家である。
三草藩主は歴代が江戸に定府する定府大名であり、三草には家臣が派遣されて支配されていた。また、歴代藩主が大坂定番、大番頭など、幕府の役職に就任する小譜代大名であった。
この三草藩は中国山地の山襞に入る地域であり、水田より茶や藪など山間部に関連する税や賦役を課される場合が多かった。ただし山間部を除けば二毛作が行なわれたり、行商が多少が栄えたりしていた。また、加古川の便に恵まれて年貢米などの運送に利用されたりしていた。
丹羽家の支配で明治維新まで至り、明治4年(1871年)の廃藩置県により三草藩は消滅した。
歴代藩主[編集]
- 丹羽家
譜代 1万石