高柳藩
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高柳藩(たかやなぎはん)は、江戸時代中期のわずかな期間だけ越後国頚城郡に存在した藩である。頚城郡に存在したことから首城藩(くびきはん)とも言う。藩主家は譜代大名の丹羽氏。石高は1万石。藩庁は高柳陣屋。現在の新潟県妙高市(旧新井市)に存在した。
概要[編集]
元禄15年(1702年)7月18日、美濃国岩村藩主の丹羽氏音は家臣団の争いによる御家騒動を起こした罪により、石高を減封された上で越後国頚城郡高柳1万石に移封となり、高柳藩が立藩した。氏音は高柳村に陣屋を設置し、代官を派遣して藩政を行なった。
元文4年(1739年)8月14日、第2代藩主の丹羽薫氏の時に大坂定番になったことから所領を美作国などに移され、3年後の寛保2年(1742年)、薫氏は所領を播磨国多可郡・加東郡・加西郡・美嚢郡など4郡に移され、33村1万石で加東郡上三草に陣屋を構え、三草藩を立藩したことにより、高柳藩は廃藩となる。以後、高柳領は越後国高田藩の久松松平家の預かり地となり、高柳陣屋は廃止となった。
歴代藩主[編集]
- 丹羽家
譜代 1万石