フィリップ (エディンバラ公)
エディンバラ公爵フィリップ王配(エディンバラこうしゃくフィリップおうはい、英:Prince Philip, Duke of Edinburgh、1921年6月10日 - 2021年4月9日)は、イギリスの王族。女王エリザベス2世の王配(夫/配偶者、Prince)。チャールズ3世の実父。
概要[編集]
爵位・称号は Prince of the United Kingdom[1]、エディンバラ公爵、メリオネス伯爵、グリニッジ男爵、イギリス陸海空軍元帥、Lord High Admiral(海軍本部の長)、日本学士院名誉会員。敬称は His Royal Highness(殿下)。
祖父にギリシャ王ゲオルギオス1世、曾祖父にデンマーク王クリスチャン9世、高祖父にロシア皇帝ニコライ1世がいる。高祖母はイギリス女王ヴィクトリアのため、王位継承資格者でもあった。
イギリス海軍で第2次世界大戦に従軍後、当時即位前のエリザベス王女と結婚。妻の女王即位後は海軍を退役し、夫として長年女王を支えてきた。女王の公務の大半に夫妻で同伴、単独での海外訪問も143カ国637回に上り、公務は単独でも65年間で2万2千件以上行った。生前は785の団体の会長や支援者を務めた[2]。
96歳と高齢になっていた2017年8月2日にバッキンガム宮殿でイギリス海兵隊を閲兵したのを最後に、全ての公務から引退した[3][4]。
家系[編集]
ギリシャおよびデンマーク、ノルウェーの王家であるグリュックスブルク家(正式には、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク家)出身。ギリシャ王国の第2代国王ゲオルギオス1世の四男アンドレアスとバッテンベルク家(英語名:マウントバッテン家)出身のアリキ(英語名:アリス)の長男として誕生。ギリシャ語名フィリッポス(Φίλιππος)。ヴィクトリア英女王の玄孫であり、連合王国王位継承権を持つ(2012年2月現在第485位)。
姉が4人おり全員がドイツ人男性と結婚。長姉マルガリタ(ホーエンローエ=ランゲンブルク侯妃)、次姉セオドラ(バーデン辺境伯夫人)、三姉セシリア(ヘッセン大公世子妃)、四姉ソフィア(ヘッセン=カッセル公子妃、ハノーファー王子妃)である。母方の叔母ルイーズはスウェーデン王グスタフ6世アドルフ妃。第2代ミルフォード・ヘイヴン侯爵ジョージ・マウントバッテンと第二次世界大戦の極東での対日戦争のビルマ戦線でその名を馳せた初代マウントバッテン・オブ・バーマ伯爵ルイス・マウントバッテンは母方の叔父にあたる。
フィリップは、父アンドレアスと同様「ギリシャ王子及びデンマーク王子(Prince of Greece and Denmark)」の称号を有していたが、エリザベス王女との結婚にあたりこれを放棄している。
ヴィクトリア女王 - アリス(ヘッセン大公妃) - ヴィクトリア(ミルフォード=ヘイヴン侯爵夫人) - アリス(アンドレアス王子妃) - フィリップ。
子にチャールズ・アン・アンドルー・エドワードの3男1女がいる。
略歴[編集]
1921年にギリシャの王族として同国のケルキラ島で生まれる。母方の高祖母がヴィクトリア女王にあたり、またギリシャで革命が起きたことからスコットランドの名門・パブリックスクールを卒業後、1939年にイギリス海軍に入隊し、第2次世界大戦にも参加した。1945年9月2日に日本の重光葵・加瀬俊一らが東京湾上に停泊の米国戦艦ミズーリ号甲板にて降伏文書に署名した際には、同湾のイギリス軍艦において任務についていたという。
1947年に当時のイギリス国王・ジョージ6世の長女・エリザベス2世(当時は王女)と結婚する。1952年にジョージ6世が崩御してエリザベス2世が即位した後は王配として支え、夫婦仲も円満でその間に3男1女をなしている。日本との関係も深く、1975年に女王とともに来日したり、1989年には同年に崩御した昭和天皇の大喪の礼に参列した。
他にも王室行事や外国訪問のほか、世界自然保護基金(WWF)総裁など多くの組織の要職を歴任し、環境保護や科学振興、スポーツ振興などに尽力している。
ただし必ずしも円満だったわけではなく、長男のチャールズ皇太子との関係において悪化したりした時期もある。1994年にチャールズが出版した公認伝記においてダイアナ・スペンサーとの結婚について、フィリップから強制されたと告白しており、さらにチャールズを「国王に不適格」と見なしているとイギリス紙が報じたりしていることもあった。他にも人種発言、性別発言などに関連した失言で物議を醸すことも少なくはなかった。
高齢になっても精力的に慈善活動を続けたりしていたが、さすがに90歳代後半になった頃からたびたび病気に倒れるようになり、入院したりもしたので2017年に公務からの引退を発表。2019年1月には王室別邸近くで乗用車を運転中に別の車と衝突する事故を起こしたりした。2021年1月、妻のエリザベス2世と共に当時流行していた新型コロナウイルスのワクチンを接種したが、2月16日に体調不良による予防的措置でロンドンの病院に入院する。フィリップは心臓疾患の持病を持っており、その検査などを受けて3月16日に退院した。
4月9日、ロンドン郊外のウィンザー城で死去。99歳没。あと2か月で100歳になる前の死去であった。フィリップの遺志により、葬儀は国葬などではなく王室関係者だけで行われるという。
脚注[編集]
- ↑ 英国王室公式サイト 『The Duke of Edinburgh - Honours』
- ↑ 読売新聞 東京本社版 2017年5月6日
- ↑ “英フィリップ殿下、最後の公務…海兵隊の閲兵式”. 『読売新聞』朝刊. (2017年8月4日)
- ↑ “英女王の夫フィリップ殿下、公務を引退 96歳”. AFPBB News. フランス通信社. (2017年8月3日) 2017年11月20日閲覧。
- ↑ “Live: The world reacts to the death of Prince Philip” (英語). www.abc.net.au (2021年4月9日). 2021年4月9日確認。