鷹司松平氏
ナビゲーションに移動
検索に移動
鷹司松平氏(たかつかさまつだいらし)とは、藤原北家の藤原道長の流れを汲む五摂家のひとつである鷹司氏の分家である。江戸時代の大名の中では唯一、公家の分流として諸侯になった。家格は譜代大名で陣屋大名。江戸城内の詰間は大広間。本拠地は上野矢田藩から同国吉井藩に移っている。石高は1万石。
概要[編集]
鷹司氏は関白・摂政になる資格を持つ上級公家であった。江戸時代前期に江戸幕府の第3代征夷大将軍である徳川家光の正室に鷹司孝子(本理院)が選ばれる。この孝子の弟に鷹司信平がいたが、姉の縁により江戸幕府より7000石を与えられて旗本となり、さらに松平姓を許された。宝永6年(1709年)に信平の孫に当たる信清が1万石で現在の群馬県高崎市を支配する上野矢田藩主となったことから、大名となった。後に子孫は上野吉井藩主となり、明治維新後に吉井姓を称した。
なお、わずか1万石であるが将軍の縁戚であり、さらに五摂家の分家であることから、江戸城内では詰間が大広間で、官位は従四位下、さらに国主並の待遇を受け、参勤交代をする必要のない定府大名の扱いと異例の厚遇を受けている。明治17年(1884年)の華族令により子爵に封じられた。
なお、この家の祖である信平は佐々木裕一が執筆している時代小説『公家武者 松平信平』シリーズの主人公としても有名である。