鵜殿村

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うどのむら
鵜殿村
日本国旗.png日本
地方東海地方
中部地方
近畿地方
所属三重県南牟婁郡
人口4852 人
面積2.88 km2
備考平成18年(2006年1月10日消滅

鵜殿村(うどのむら)は、三重県南牟婁郡にかつて存在したである。現在は紀宝町の一部となって消滅している。消滅するまで日本で一番面積の小さい村で、日本で一番人口密度の高い村でもあった。

概要[編集]

三重県の最南端で、熊野川の河口左岸、新宮市の対岸に位置し、東は熊野灘に面している。村は日本一小さな村で、西部と北部に小さな丘陵地が分布する以外はおおむね平坦であり、稲作や野菜作り、果樹栽培などが主要産業となっていた。
また、熊野川の河口港として古くからの木材集散地になっており、紀州製紙工場をはじめ、製材・パルプ工場が多く立地している。熊野川河口の格納庫に保管されている「諸手船」は鯨追船の祖形といわれている。

平成18年(2006年1月10日、旧紀宝町と合併し、改めて新紀宝町が発足したことにより、自治体としての鵜殿村は廃止された。なお、新紀宝町の役場の本庁は旧鵜殿村役場を利用している。

地理[編集]

明治初期時点での隣接地域を示す。

鵜殿村に隣接する村
神内村
(現:紀宝町
井田村
(現:紀宝町
成川村
(現:紀宝町
鵜殿村
新宮町
(現:新宮市
太平洋

河川[編集]

  • 熊野川
  • 神内川

湖沼[編集]

  • 山ノ谷池

海洋[編集]

  • 太平洋

歴史[編集]

地名の由来[編集]

沿革[編集]

紀伊国牟婁郡、後に三重県南牟婁郡に属していた。大部分が新宮藩領、一部が和歌山藩領の村であった。

  • 1889年(明治22年)周辺の村と合併し、宇和野村鵜殿となる。
  • 1894年(明治27年)宇和野村が井田村と鵜殿村の分裂、鵜殿村復活。
  • 2006年(平成18年)紀宝町と合併し、紀宝町鵜殿となる。

鵜殿村の見どころ[編集]

鵜殿村の年中行事[編集]

人口・面積[編集]

  • 人口は4879人[1]
  • 面積は2.88平方キロメートル[1]

人口は平成8年(1996年)の時点で4879人、平成16年(2004年)の時点で4852人である。

脚注[編集]

  1. a b 平成8年度版『全国市町村要覧』

外部リンク[編集]