高源院殿
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高源院殿(こうげんいんでん、? - 寛永5年6月14日(1628年7月15日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性で後北条氏の一族。父は北条綱成。北条氏規の正室。
生涯[編集]
北条綱成の娘で、北条氏康の息子である氏規に嫁いだ。氏規とは仲が良かったのか、4男3女の子宝に恵まれている(長男・北条氏盛、次男・北条菊千代、3男・北条勘十郎、4男・北条松千代、娘は北条直定に嫁いだ智清禅定尼、白樫三郎兵衛に嫁いだ安養院殿、東条長頼に嫁いだ娘)[1][2]。
高源院殿は慶長5年(1600年)の氏規の死後も長命を保っている。皮肉にも嫡子の氏盛、さらに嫡孫の氏信より長生きし、曽孫の氏宗の時代である寛永5年(1628年)に死去した。法名は高源院殿玉誉妙願大禅定尼[2]。