智清禅定尼(ちせいぜんていに、? - 元和3年6月18日(1617年7月20日))は、戦国時代から江戸時代初期かけての女性。実名は不詳で智清禅定尼とは法名である。
北条氏規の娘。母は高源院殿なので、北条綱成の外孫にあたる。氏規の兄・北条氏政の5男である北条直定が氏規の養子になった際、氏規の娘婿になったと思われる。直定との間に息子の氏時が生まれている。元和3年(1617年)6月18日に死去[1]。