高幹
ナビゲーションに移動
検索に移動
高 幹(こう かん、? - 206年)は、中国の後漢末期の武将。字は元才(げんさい)[1][2]。高祖父は高固。曾祖父は高慎。祖父は高賜。父は高躬。族子は高柔。伯父は袁紹。従兄弟に袁譚・袁煕・袁尚。
生涯[編集]
袁紹の甥であり、そのため并州刺史に任命される[1]。204年に曹操が鄴を落とすと降伏し、改めて曹操配下の并州刺史に任命される[1][2]。205年に曹操が鳥丸征伐を開始すると離反して壺口関に立て籠もるが、曹操配下の楽進・李典らに敗れ、206年に曹操も出陣してきたため、最初は匈奴の支配地に逃げ込もうとしたが果たせず[2]、荊州の劉表を頼って逃亡しようとしたが、その途上で上洛都尉の王琰に捕縛されて処刑された[1][2]。
『三国志演義』では曹操に降伏して再度離反する事実が省かれている[1]。壺関を守るのは史実通りだが呂曠・呂翔の偽降に騙されて大敗し、逃走中に処刑されている[1]。