呂 曠(りょ こう、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。
兗州東平郡の出身[1]。袁尚に仕えた[1]。同僚に呂翔がいるが同族かどうかは不明[1]。202年に袁紹が死去すると、袁尚に従って平原で袁譚を包囲した[1]。後に呂曠と共に曹操に降伏して列侯に封じられた[1]。後に袁譚が味方に引き入れようと調略をかけてきた際に曹操に報告した[1]。
『三国志演義』では呂翔の兄とされ、兄弟でペアを組んで行動している。袁尚を裏切って追撃し、馬延を説得して曹操に帰順させ、高幹に偽降して破るなど活躍するが、207年に新野の劉備を曹仁に従って攻めた際、趙雲に討たれた。