馬忠 (呉)

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馬 忠(ば ちゅう、生没年不明)は、中国後漢末期の武将孫権家臣

生涯[編集]

219年の孫権の関羽征伐で潘璋の指揮下に従って参加し、麦城から逃亡した関羽・関平趙累らを漳郷で生け捕りにした[1]。記録ではこれ以外は無い。

三国志演義』では史実通り第77回で関羽・関平らを捕縛し、その功績により関羽の愛馬である赤兎馬を賜るが、赤兎馬は飼葉を食べなくなって死去する。第82回の夷陵の戦いでは黄忠に矢を当てて瀕死の重傷に追い込むが、劉備の勢いを恐れた元の旧臣である糜芳士仁らに裏切られて寝首を掻かれ、その首級を劉備の下に送られた。

脚注[編集]

  1. 小出『三国志武将事典』P321

参考文献[編集]