士仁
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士 仁(し じん、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。字は君義(くんぎ)[1]。ただし「関羽伝」では傅 士仁(ふ しじん)となっている。
生涯[編集]
幽州広陽郡の出身[1]。劉備に仕えて荊州公安に将軍として駐留[1]。しかし荊州を劉備から任されていた関羽とは不仲だった[1]。そのため同じく関羽と不仲だった糜芳と共に関羽から処罰される事を恐れ、関羽が曹仁を攻めるために北上していた際、孫権配下の呂蒙に侵攻され、兵力をほとんど関羽に引き抜かれていた事もあり虞翻の説得を受けて孫権に帰順した[1]。
『三国志演義』では糜芳の親友として史実通り虞翻に説得されて降伏すると、親友の関係で孫権から糜芳の説得を命じられて任務を果たす。だがそのために劉備や関興から仇として狙われ、222年の夷陵の戦いで馬忠の首を手土産にして糜芳と共に劉備に帰参を願い出るが、許されず関興に首を討たれた。