飛騨松倉城
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飛騨松倉城(ひだまつくらじょう)とは、現在の岐阜県高山市松倉町城山にかつて存在した日本の城である。
概要[編集]
高山市の市街地の南西に存在した城であり、標高856メートルの松倉山に存在した城である。戦国時代の天正7年(1579年)、飛騨国国司の姉小路頼綱が築城した。姉小路氏は元は三木氏といい、かつては飛騨の守護大名であった京極氏の代官であった。京極氏が衰退すると勢力を拡大し、美濃国の織田信長と手を結んでほぼ飛騨全域を支配下に置いていた。しかし信長の死後、羽柴秀吉と柴田勝家が覇権をめぐって争うと、頼綱は後者に属して秀吉に敵対したため、天正13年(1585年)8月の秀吉の越中征伐と並行して金森長近に頼綱を攻めさせ、頼綱は金森軍に敗れて国外に追放され、この際に松倉城に立て籠もっていた次男の姉小路秀綱も追放されて、姉小路氏は国司としての地位を失った。
現在は国分寺にある重要文化財指定の無銘の太刀は、秀綱が松倉城から退去する際に西之一色の豪農に預けた姉小路氏の宝刀と言われている。
城跡には現在、わずかに石塁が残り、往時の面影を残している。