陸胤
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陸 胤(りく いん、生没年不詳)は、中国の三国時代の呉の武将。字は敬宗(けいそう)[1]。兄は陸凱。子は陸式。
生涯[編集]
揚州呉郡呉県(現在の江蘇省蘇州市)の出身[1]。陸遜の族子に当たり、孫権に仕えて御史・尚書選曹郎となるが、二宮の変の際に孫覇派の讒言により逮捕されて獄に下されて拷問を受けた[1]。しかし罪を責任転嫁したりすることはなく、二宮の変が落ち着くと督軍都尉となり、248年には交州刺史、安南校尉に任命されて異民族の反乱(趙嫗の乱)鎮圧で功を立てて安南将軍に任命される[1]。
この趙嫗の乱においては逸話がある。趙嫗(当時23歳)は女性ながらなかなかの武人で、陸胤は鎮圧するのに半年も手こずった。このため、趙嫗が生娘である情報を得ると陸胤は自ら裸になって趙嫗に攻撃を仕掛け、趙嫗はその陸胤の攻撃により逃走して河に身を投げたか象に踏まれて最期を遂げたと伝わっている。『大越史記全書』では「九真郡の女趙嫗なる者、衆を集めて郡県を荒掠す。胤これを平らぐ」とある。
258年には西陵の督に任命されて都亭侯に封じられ、さらに虎林の守備を命じられた[1]。
素っ裸になって戦った逸話があるのに、陳寿からは「清廉潔白で職務に励み、南方で名声を得た」と高い評価を受けている。
『三国志演義』には登場しない。