長谷川龍生

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長谷川 龍生(はせがわ りゅうせい、1928年6月19日 - 2019年8月20日)は、日本詩人。本名は名谷 龍生(なたに たつお)。日本ペンクラブ名誉会員。元日本現代詩人会会長(1997年 - 2000年)。前大阪文学学校校長。「歴程」同人。

生涯[編集]

昭和3年(1928年)、大阪市東区(現:中央区船場の出身。既婚者で長男あり。

17歳で詩作を開始し、小野十三郎に師事する。昭和32年(1957年)に第1詩集「パウロウの鶴」を出して個人の意識を即物的、幻想的に表現する異色の新人として注目を集める。同年、安部公房花田清輝らと記録芸術の会を結成し、これを契機に多くの芸術家と交流を広げた。翌昭和33年(1958年)に鮎川信夫らと現代詩の会の結成に協力し、同会の機関誌である「現代詩」の編集長を務める。

昭和52年(1978年)に「詩的生活」で高見順賞を受賞する。この頃に欧米中東で一人旅を続けて、その際の怪奇体験を基にした「椎名町『ラルゴ』魔館に舞う」などを発表する。さらに大阪市大阪文学学校の創立にも関与し、平成3年(1991年)から平成26年(2014年)まで同校の校長を務めた。同校からは田辺聖子玄月らが輩出している。

平成14年(2002年)には13年ぶりに詩集「立眠」を刊行した。

広告代理店のコピーライターも務め、昭和45年(1970年)の大阪万博では芸能部門を担当し、サミー・デービス・ジュニアマレーネ・ディートリヒなど大物外国人の招聘に尽力した。

令和元年(2019年)8月20日午前2時、肺炎のため、東京都内の病院死去。91歳没。

著作[編集]

  • 『パウロウの鶴』(1957年 書肆ユリイカ H氏賞次点)
  • 『虎』(1960年 飯塚書店)
  • 『長谷川龍生詩集』(1967年 思潮社)
  • 『泉(ファンタン)という駅』(1975年 サンリオ出版)
  • 『直感の抱擁』(1976年 思潮社)
  • 『江戸插絵文庫 第3巻 百面相』すばる書房 1977
  • 『詩的生活』(1978年 思潮社 高見順賞受賞)
  • 『新選長谷川龍生詩集』思潮社 新選現代詩文庫 1979
  • 『バルバラの夏』(1980年 青土社)
  • 『椎名町「ラルゴ」魔館に舞う』(1982年 造形社 画・赤瀬川原平)
  • 『知と愛と』(1986年 思潮社 藤村記念歴程賞受賞)
  • 『マドンナ・ブルーに席をあけて』(1989年 思潮社)
  • 『泪が零れている時のあいだは』(1989年 思潮社)
  • 『続・長谷川竜生詩集』思潮社 現代詩文庫 1996
  • 『立眠』(2002年 思潮社 現代詩人賞受賞辞退)
  • 『山の音感』(2017年 鹿鳴荘)

詩画集[編集]

  • 『椎名町「ラルゴ」魔館に舞う』(1982年 造形社 画・赤瀬川原平)
  • 『山の音感』(2017年 鹿鳴荘 画・大谷一良)

共編著[編集]

関連人物[編集]

  • 堤清二(友人)
  • 田辺聖子(大阪文学学校の元生徒)
  • 開高健(中学の後輩、友人)
  • 高見順(第9回高見順賞受賞)
  • 安部公房(安部デビュー前からの友人)
  • 中島らも(長谷川の怪奇体験話を通じての知人)
  • 赤瀬川原平(『椎名町「ラルゴ」魔館に舞う』のイラストを担当)
  • 谷川俊太郎(『虎』のあとがきで「わたしには長谷川龍生の70%以上分からないという自信がある」と発言)
  • 青木新門(『納棺夫日記』を書くようすすめる)
  • 高浜虚子(本人曰く「20歳くらいの頃、一緒に散歩をしたことがある」とのこと)
  • ジャン・ジュネ(自主企画の番組でインタビューを試み成功)
  • フランソワーズ・サガン(自主企画の番組でインタビューを試み成功)