開高健

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開高健(かいこう たけし・けん、1930年12月30日-1989年12月9日)は、作家。

人物[編集]

大阪市生まれ。大阪市立大学法学部卒。大学在学中に谷沢永一らの『えんぴつ』同人となり、同人の詩人・牧羊子と21歳で子供ができ結婚した。卒業後、壽屋(現・サントリー)宣伝部入社。「パニック」などで名をあげ、大江健三郎と併称され、1957年「裸の王様」で芥川賞受賞、勤めをやめ作家に専念する。大阪の焼け跡に住み着いた男たちを描いた『日本三文オペラ』は、梁石日から聞いた話を元に書いたが、のちに梁自身が「夜を賭けて」として描いている。1962年には新聞に、徳島ラジオ商殺しを取材した『片隅の迷路』を連載した。ベトナム戦争を従軍記者として体験し、それをもとに書いた『輝ける闇』で1968年、毎日出版文化賞受賞。72年にはその続編として『夏の闇』を書いたが、これは愛人とのだらしない生活を描いたもので、相手のモデルはロシア文学者の佐々木千世だと言われている。

1977年ころから、南米での釣りに熱中し、『オーパ!』などの釣り紀行で人気を博し、『週刊プレイボーイ』で人生相談「風に訊け」を連載した。78年『ロマネ・コンティ・一九三五年』を刊行し、そのうちの短編「玉、砕ける」で川端康成文学賞を受賞。81年、菊池寛賞を受賞。87年、自伝小説『破れた繭 耳の物語』『夜と陽炎 耳の物語』で日本文学大賞を受賞。

1978年から死去まで芥川賞選考委員を務めた。厳しい選考をし、開高のために受賞作なしが多くなったという声もある。 58歳で死去。娘の開高道子はエッセイストだったが、開高没後5年で自殺した。