長光寺城
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長光寺城(ちょうこうじじょう)とは、現在の滋賀県近江八幡市長光寺町に存在した日本の城である。柴田勝家の瓶割柴田(かめわりしばた)の異名が付いた城として著名である。
概要[編集]
この城は応仁の乱が発生した頃に近江の守護大名であった佐々木六角氏の一族である六角政堯が築城したといわれている。永禄11年(1568年)に織田信長の侵攻を受けて観音寺城が落城して六角氏が滅亡すると、長光寺城は信長の支配下に入り、信長は湖東方面の抑えとして重臣の柴田勝家を城主に任命した。しかし、信長に滅ぼされた六角義賢・義治父子らは再興を目指して挙兵し、元亀元年(1570年)に長光寺城を攻めた。この時、柴田勝家は苦戦して籠城したが、六角方は長光寺城の水源を断って城兵を追い込もうとした。これを知った勝家は城内にあった水瓶を全て叩き割り、死にもの狂いで六角軍に討ちかかって遂に撃退したという。この勝利にちなんで現在の八日市市との境界付近の田園地帯にある長光寺山は、瓶割山と称されるようになったという。
現在は瓶割山の頂上付近に本丸と2の丸跡の石垣、堀切の一部が残っており、山城の遺構を現在に伝えている。