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鉄道省モハ52形電車
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鉄道省モハ52形電車は、大日本帝国鉄道省によって設計、開発された直流電車である。
概要[編集]
室内は2扉クロスシートである。一次車の客用窓は狭窓であったが、二次車は広窓となった。前面運転台は当時流行していた流線型で、非貫通型である。乗務員扉はなく、前照灯は砲弾型で埋め込まれていた。下回りはスカートで覆われるボディマウント型であった。この形態から「流電」、「魚雷形電車」と言われた。しかしこれが保守現場から嫌われ者になり、三次車は運転台が鉄道省モハ40形電車と同じ丸妻の半流線型となり、スカートを省略し、乗務員扉を復活させた鉄道省モハ43形電車、いわゆる合いの子が登場した。
運用[編集]
東海道本線、山陽本線に投入され、鉄道省サハ48形電車、鉄道省サロハ66形電車を中間に連結して運転された。太平洋戦争後に国鉄モハ80系電車に置き換えられると阪和線に投入され、国鉄モハ70系電車に置き換えられると飯田線に転出した。中間にサハ48、サハ75を連結して運転され、1978年に引退した。一方、弟分のモハ43は1983年まで活躍した。
改造[編集]
太平洋戦争中に3扉改造の戦時改造される予定であったが、資材不足によって見送られた。しかし、その後はスカート撤去、乗務員扉の新設が行われ、飯田線転属時に前照灯の250W化、勾配線区対応のために歯車比を大きく取る等の改造をされた。