金本位制

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金本位制(きんほんいせい)とは、金を本位貨幣とし、金貨の自由な鋳造と自由融解を認めて無制限通用力を与えた制度のことである。

日本における金本位制[編集]

創始期[編集]

日本における金本位制は、明治4年(1871年)の新貨条例から始まる。これにより、同年8月には日本初となる洋式貨幣が発行された。

この新貨条例は大隈重信により建白された。大隈重信は当初、金本位制ではなく銀本位制を採用する予定だった。これは幕末期に金が国外に大量に流出し、銀が豊富に日本国内に存在していたことやアジアの貿易決済が銀で行なわれていたことからであった。しかし、岩倉具視大久保利通らと欧米を外遊した伊藤博文が欧米諸国が金本位制に移行しつつあるのを見て反対し、金本位制になったという。

このため、1円、2円、5円、10円、20円の金貨が発行された。しかし前述したように、当時は幕末により金が国外に大量に流出して金の備蓄量が少なく、20円金貨に至っては発行枚数わずか4万6000枚で、しかも貿易不均衡などによりこれすら国外に大量に流出したため、金貨や金本位制は半ば形骸化した。

最初の崩壊と復活[編集]

このため、明治政府は貿易限定用の1円銀貨を発行し、さらに明治11年(1878年)からはこの銀貨の国内流通を許可したため、金本位制は崩壊した。

明治27年(1894年)からの日清戦争において日本はに勝利し、翌年の下関条約で日本は清から3億6000万円の賠償金を金で受け取ることが決められた。この賠償金で得た金により、明治30年(1897年)に当時の内閣総理大臣である松方正義貨幣法を制定し、デザインを一新した5円、10円、20円の新金貨を発行し、金本位制が復活、本格的に始動することになった。

完全崩壊へ[編集]

大正3年(1914年)から第1次世界大戦が始まると、日本をはじめ欧米諸国は金本位制を停止する。戦後、各国は金本位制を解禁するが、日本は戦後不況や関東大震災などによりその解禁は行なわれなかった。

昭和4年(1929年)に内閣総理大臣となった浜口雄幸は、大蔵大臣井上準之助を起用して、昭和5年(1930年1月11日に金解禁を断行し、金本位制に復活。これにより、20円金貨が1100万枚発行されることになった。しかし前年に世界恐慌が発生して金解禁は既に時期を逸しており、円の価値がさらに下がる結果を生む。海外からは投機目的による大量の円買いが殺到し、神戸港などでは大量の金が積み出されたりした。こうして日本の金が大量に海外に流出。この失策により日本では株価が暴落して大不況となり、借り入れで保険局窓口が混雑する有様だった。また、浜口雄幸も井上準之助も、これにより右翼や国民に恨まれ、前者は昭和6年(1931年)に、後者はその翌年の血盟団事件で襲撃されて、共に生命を落とすことになった。

昭和6年12月13日犬養毅内閣が成立すると、犬養毅内閣総理大臣は当日のうちに金本位制を廃止。最終的には1942年(昭和17年)公布の日本銀行法により、貴金属を本位通貨にする制度は無くなった。

関連項目[編集]