新貨条例
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新貨条例(しんかじょうれい)とは、明治4年(1871年)5月10日に制定された日本の法律である。当時、明治政府により近代化が急務となっており、新たな貨幣(日本初となる洋式貨幣)を発行することは、近代国家日本としての威厳を示すためにも必要となっていた。明治8年(1875年)6月25日に法律名が新貨条例から貨幣条例(かへいじょうれい)に改称された。
新貨条例では、
- 通貨単位を「両」から「円」にすること(従来の分・朱なども銭・厘となった)。
- 金1.5グラム = 1円 = 1ドルとすること。
- 金本位制を採用すること。
などが定められた。
これにより、同年8月には日本初となる洋式貨幣が発行された。
この新貨条例は大隈重信により建白された。大隈重信は当初、金本位制ではなく銀本位制を採用する予定だった。これは幕末期に金が国外に大量に流出し、銀が豊富に日本国内に存在していたことやアジアの貿易決済が銀で行なわれていたことからであった。しかし、岩倉具視や大久保利通らと欧米を外遊した伊藤博文が欧米諸国が金本位制に移行しつつあるのを見て反対し、金本位制になったという。
このため、1円、2円、5円、10円、20円の金貨が発行された。しかし前述したように、当時は幕末により金が国外に大量に流出して金の備蓄量が少なく、20円金貨に至っては発行枚数わずか4万6000枚で、しかも貿易不均衡などによりこれすら国外に大量に流出したため、金貨や金本位制は半ば形骸化した。
このため、明治政府は貿易限定用の1円銀貨を発行し、さらに明治11年(1878年)からはこの銀貨の国内流通を許可したため、金本位制は崩壊した。