郝 萌(かく ぼう、? - 196年)は、中国の後漢末期の武将。
司隷河内郡の出身[1]。呂布の家臣であったが、『英雄記』によると196年6月に袁術と通じて反乱を起こし、呂布の本拠である下邳を攻撃した。呂布は高順の陣営に逃げ込み、その際に呂布から「河内の訛りがあった」と聞いたため、高順は反乱を起こしたのは郝萌と悟って討ち取ったという[1]。
『三国志演義』では呂布八健将(張遼、臧覇、郝萌、曹性、成廉、魏続、宋憲、侯成)の一人とされ、袁術の使者に立つ王楷・許汜の護衛となるが、張飛に捕縛されて曹操に処刑された。