侯成

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侯 成(こう せい、生没年不詳)は、後漢末期の武将

生涯[編集]

呂布家臣で、198年12月に呂布が曹操の攻撃を受けて下邳に追い詰められた際、同僚の宋憲魏続と共に陳宮を捕縛して曹操に降伏した[1]。侯成は食客に15頭の馬を飼育させていたが、その食客が馬を連れて劉備の下に逃走しようとした[1]。このため侯成は騎兵を率いて馬を全て取り戻し、その功に諸将が贈り物をして祝い侯成も酒や猪を振る舞ったが、呂布は禁酒令に違反したとして激怒し、侯成は酒を捨てて贈り物を返上した[1]。これが原因で疑心暗鬼になり[1]、呂布から離反したという。

三国志演義』では呂布八健将張遼臧覇郝萌曹性成廉、魏続、宋憲、侯成)の一人とされ、曹操を何度も追い詰めた勇将として描かれる。馬を取り戻して酒を振る舞う場面は史実と同じだが、その際に呂布から50回の棒叩きを受けたので裏切る決心をし、呂布の赤兎馬を奪う馬泥棒を犯すという皮肉な場面の後、魏続らと協力して呂布が就寝中に縛り上げて曹操に差し出した。

脚注[編集]

  1. a b c d 小出『三国志武将事典』P90

参考文献[編集]