許汜

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許 汜(きょ し、生没年不詳)は、中国後漢末期の政治家武将

生涯[編集]

最初は曹操従事中郎として仕えたが、張邈張超陳宮王楷らと共に呂布に通じて謀反を起こし、以後は呂布の家臣となる[1]198年冬に曹操により呂布が滅亡すると劉表の下に赴いて客将となる[1]劉備が劉表の下に亡命して来た際に同席し、許汜は陳登がかつて自分を寝台の下に寝かせた傲慢を非難したが、劉備は2人の人柄を比較して自分なら許汜を地べたに寝かせた、と言って劉表を笑わせたという[1]

三国志演義』では最初から呂布の家臣にされている以外は袁術への援軍要請の使者としてのみ登場する[1]

脚注[編集]

  1. a b c d 小出『三国志武将事典』P202

参考文献[編集]