成廉

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

成 廉(せい れん、生没年不詳)は、後漢末期の武将呂布家臣

生涯[編集]

呂布の家臣で常に呂布に従い従軍し、袁紹を頼って張燕と戦った際には呂布や魏越と共に数十騎で1日に3回から4回も張燕の本陣に突撃を行なって撃破した[1]198年10月曹操が呂布を下邳に攻めて野戦を行なった際、敗れて捕虜になった[1]。その後の記録が無いため、この際に曹操に処刑されたものと推測される[1]

三国志演義』では呂布八健将張遼臧覇郝萌曹性、成廉、魏続宋憲侯成)の一人とされ、曹操との戦いで大活躍するが典韋に撃退され、最後は濮陽において楽進に弓で射殺されており、史実よりかなり早くに死去している。

脚注[編集]

  1. a b c 小出『三国志武将事典』P89

参考文献[編集]