高順
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高 順(こう じゅん、? - 198年12月)は、中国の後漢末期の武将。呂布の家臣で最後まで忠義を貫き、呂布と運命を共にした。
生涯[編集]
高順は攻撃した敵を必ず撃ち破ったので「陥陣営」(かんじんえい)の異名をとった[1][2]。196年に郝萌が謀反を起こした際には鎮圧に貢献した[2]。
198年に曹操と呂布の対立が決定的になると、高順は沛にいた劉備、並びに援軍に来た夏侯惇にいずれも勝利し撃破した[2]。しかし曹操軍の猛攻により下邳に追い詰められ、最期は呂布・陳宮と共に処刑された[2]。
『三国志演義』では陥陣営の強さが描かれておらず、夏侯惇と一騎撃ちをして敗れている。この際には曹性が夏侯惇の眼を射抜いたことで曹操軍を撃退した。最期はほぼ史実どおりである。
人物像[編集]
高順は清廉潔白な人物として記録がある。酒を飲まず、贈り物を受け取らなかった[1]。威厳があり、統率していた部下たちは700人余りであったが1000人と公称し、鎧・甲・武器は全てよく鍛えられ、手入れが行き届いていた[1]。
一方で高順は呂布をいつも「だいたい家を破滅させ、国を滅亡させる場合、忠義な臣下や優れた知恵者がいないわけではありません。ただそれらの者たちを起用しないことが問題なのです。将軍は行動なさる場合に熟慮なさらず、すぐに喜んで間違ったことを口に出されます。その誤りは数え切れないほどです」と諌めていた[1]。呂布は高順の忠義は認めていたが、その意見を採用することはなかった[1]。
なお、呂布の妻が「陳宮と仲が悪い」と述べた記述があり、陳宮とは犬猿の仲だったようである[3]。