道竹城

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道竹城(どうちくじょう)とは、現在の鳥取県岩美郡岩美町新井地内・浦富地内にかつて存在した日本である。

概要[編集]

現在の蒲生川に沿った新井地区北側の山上に存在した城である。

戦国時代天文年間(1532年から1555年)に、但馬国守護大名山名氏の一族であった三上兵庫守が築城したと見られる。兵庫頭は鳥取城番の武田高信と共に因幡国の守護・山名氏に敵対したことから、永禄7年(1564年)に山名氏の攻撃を受けて落城した。

Wikipediaでは「その後どのような経過をたどったかは明らかではない」と無責任な記事が掲載されているが、その後に尼子氏再興を目指す山中幸盛(鹿之助)が一時期支配したことが確認されている。

現在、城跡の頂上付近には本丸、2の丸、3の丸跡などが残されており、城跡の一隅には岩美出身で、幕末期の大老井伊直弼の師範を務めたことで知られる名僧・仙英の碑が建立されている。

アクセス[編集]