足利高義
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足利 高義(あしかが たかよし、永仁5年(1297年) - 文保元年6月24日(1317年8月2日))は、鎌倉時代末期の武将。鎌倉幕府御家人。足利貞氏の長男。母は正室で北条顕時の娘・釈迦堂殿。足利尊氏・足利直義の異母兄に当たる。
略歴[編集]
官途は左馬助。母に関しては上杉清子、あるいは上杉経高の娘とする説もある。
父の貞氏から足利家の家督を譲られて当主となり、第14代執権・北条高時から偏諱を受けて高義と名乗る。正和4年(1315年)11月14日、大夫阿闍梨円重に鶴岡八幡宮寺両界壇所供僧職の安堵状を発給しており、少なくともこの年には家督を継承していたものと見られる。
文保元年(1317年)6月24日、21歳の若さで死去した。
子に安芸守某、田摩御坊源淋、娘(上杉朝定室)、娘(武田信武室)と2男2女がいたが、恐らく高義が死去した時点では全員が幼少だったためか家督は再度、父の貞氏が相続して、貞氏の死後は高義の弟である尊氏が継承している。
法名は延福寺殿あるいは円福寺殿。
関連作品[編集]
- 河部真道 『バンデット -偽伝太平記-』講談社 - 前半部の副主人公的存在として登場する。