足利義助
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足利 義助 あしかが よしすけ | |||||||||||||||||||||||||||||||
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足利 義助(あしかが よしすけ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。第2代平島公方。室町幕府の14代将軍・足利義栄の弟。
生涯[編集]
初代平島公方・足利義維の子といわれるが、一説に義栄の子とする説も存在する。出生した場所は平島だと思われる。
義維・義栄父子が将軍職を目指して上洛を計画していた際には同道せず、留守のためかそのまま平島に留まっていたと見られる[1]。一次史料などからは義助の動きが確認できず不明な点が多い。阿波国における三好氏の勢力が衰退すると、それに代わって拡大してきた土佐国の長宗我部氏の勢力に接近していった[2]。義栄、義維が死去した後は第2代の平島公方に就任している。
『平島記』によると、天正5年(1577年)8月に長宗我部元親に阿波国桑野を攻めた際にそれを支援したことから、元親から平島を所領安堵されたとあり、また元親から馬を贈られるなど、長宗我部氏とは親密な関係にあったと見られる[2]。
天正20年(1592年)7月2日に平島で死去。享年51。跡を子の義種が継いだ。
系譜[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
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