西紀寛
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選手情報 | |
---|---|
本名 | 西紀寛 |
英字表記 | Norihiro Nishi |
生年月日 | 1980年5月9日(44歳) |
出身地 | 日本、大阪府 |
身長 | 175 cm |
体重 | 72 kg |
ポジション | ミッドフィールダー |
クラブチーム | |
1999-2011 2012-2013 2014 |
ジュビロ磐田 東京ヴェルディ ポリス・ユナイテッド |
代表チーム | |
2004 | 日本 |
西紀寛(にし のりひろ、1980年5月9日 - )は日本のサッカー選手。
アラカルト/エピソード[編集]
- フィリップ・トルシエ監督が率いるU-23代表ではアジア予選や親善試合でもほとんど出番がなかったが、シドニー五輪本大会では登録人数が少ない影響で、FWと右サイドの両方の控えとなり得る事からメンバー入りする。しかしフィールドプレイヤーの中では唯一出番はなかった。
- 2002年にリーグ戦完全優勝を果たした磐田黄金期の選手としては突出して若かったため世代交代の過渡期に入った磐田では中心選手としての期待を寄せられていた。しかしこの年戦術的理由から一時レギュラーを外され、移籍志願をしたこともあったが翻意した。ジーコ日本代表監督に度々招集され、優勝した2004年のアジアカップにも出場しているが、出場機会はかなり限られていた。
- ニックネームの1つである「サダ」(本人が「ニシでいいです」と言っているため使われることは少ない)は顔が定岡正二に似ているとして付けられた。
- 明るく開放的な性格で、外国人選手とも積極的にコミュニケーションをとろうとし、外国語がわからないといいながら何故かすぐ仲良くなっている。
- 天衣無縫で奇天烈な行動や発言が多いことがよく話題にされるが、試合後のコメントでは試合内容について短い言葉ながら核心を突く表現で語ることも多い。
- マリア・シャラポワがまだそれほど有名でなかった頃から、彼女のファンを公言している。
- 元チームメイトの奥大介を尊敬し、奥もまた彼の才能を認めている。
- 故障明けでプールで調整のとき本気で溺れていた。
- 2007年3月18日のFC東京戦で、試合中の接触プレーにより右足第5中足骨を骨折したが、既に交代枠を使い切っていた上に退場者を出していたチームのために試合終了まで足を引きずりながらもプレーを続行した。この時は3ヵ月後の6月末に復帰している。
- ポジションの型にはまらないプレースタイルから「本能でプレーしている」などと言われるが、関係者によれば、対戦相手のビデオを研究するなどの熱心さもまた人一倍だという。
クラブチームの統計[編集]
年度 | リーグ | 番 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|---|
磐田 | リーグ | Jリーグ杯 | ||||
1999 | J1 | 26 | 13 | 4 | 1 | 0 |
2000 | 26 | 19 | 3 | 0 | 0 | |
2001 | 11 | 22 | 2 | 7 | 0 | |
2002 | 11 | 26 | 4 | 7 | 1 | |
2003 | 11 | 24 | 1 | 8 | 0 | |
2004 | 11 | 17 | 4 | 0 | 0 | |
2005 | 11 | 19 | 3 | 0 | 0 | |
2006 | 11 | 16 | 4 | 5 | 0 | |
2007 | 11 | 17 | 2 | 0 | 0 | |
2008 | 11 | 12 | 2 | 6 | 1 | |
2009 | 11 | 29 | 4 | 4 | 0 | |
2010 | 11 | 31 | 3 | 7 | 1 | |
2011 | 11 | 10 | 0 | 2 | 0 | |
通算 | 255 | 36 | 47 | 3 | ||
東京V | リーグ | Jリーグ杯 | ||||
2012 | J2 | 11 | 38 | 6 | - | |
2013 | 11 | 35 | 5 | - | ||
通算 | 73 | 11 | 0 | 0 | ||
ポリス | リーグ | タイ・リーグカップ | ||||
2014 | PL | 33 | 17 | 2 | ||
通算 | 17 | 2 | ||||
総通算 | 345 | 49 | 47+ | 3+ |
代表チームの統計[編集]
日本代表 | ||
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年 | 試合 | 得点 |
2004 | 5 | 0 |
通算 | 5 | 0 |