荀顗
ナビゲーションに移動
検索に移動
荀 顗(じゅん ぎ、? - 274年)は、中国の後漢末期、三国時代の魏、西晋にかけての政治家。字は景倩(けいせん)[1]。荀彧の第6子で、荀惲の弟。荀粲の兄に当たる。
生涯[編集]
豫州潁川郡潁陰県(現在の河南省許昌市)の出身[1]。父の死後、家督を継いでいた長兄の荀惲をはじめとした兄らが早世したため、荀顗が家督を継ぐ[1]。散騎侍郎に任命され、司馬昭らによる西晋の建国の過程で協力したため、甥の陳泰から非難されたという[1]。265年に魏が滅亡して西晋が建国されると侍中・太尉に任命されたが、賈充と共に司馬炎武帝の皇太子に暗愚な息子の司馬衷を推挙し、さらにその正妻に賈充の娘・賈南風を推して西晋滅亡の遠因を作り出したという[1]。274年に死去した。
『三国志演義』では第114回で曹髦が殺害された際に召集に応じない陳泰を呼びに行く使者として登場する[1]。また、司馬昭が後継者を司馬炎か司馬攸かに悩んでいる際に長幼の序から司馬炎を推挙した[1]。