荀粲

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荀 粲(じゅん さん、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代にかけての政治家奉倩(ほうせん)[1]荀彧の第5子。

生涯[編集]

豫州潁川郡潁陰県(現在の河南省許昌市)の出身[1]。4人の兄が儒家を重んじたのに対して、彼だけは正反対で老子荘子の流れを汲む道家を好んだ上、「父の荀彧より伯父の荀攸のほうが優れている」という有様で、このために他の兄たちから不興を買ったが、荀粲は頭脳明晰で兄らを常に言い負かせたという[1]

荀粲は容姿が美しければ才能など無くてもいいという女性観を持っていたとされ、曹洪の娘を娶って大切にしたという。そのためその妻が早世すると、愛妻家だった荀粲は失意の内に病に倒れ、妻の後を追うように1年後に他界した。享年は29だったという[1]

三国志演義』には登場しない[1]

脚注[編集]

  1. a b c d e 小出『三国志武将事典』P266

参考文献[編集]