若山聡
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基礎情報 | ||||
四股名 | 若山 | |||
本名 | 若山 聡 | |||
生年月日 | 1992年4月26日(32歳) | |||
出身 | 千葉県勝浦市 | |||
身長 | 174cm | |||
体重 | 151kg | |||
BMI | 49.87 | |||
所属部屋 | 阿武松部屋 | |||
得意技 | 突き・押し | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 西幕下6枚目 | |||
生涯戦歴 | 196勝153敗78休(63場所) | |||
優勝 | 序二段優勝2回 序ノ口優勝2回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 2011年7月場所 | |||
引退 | 2022年1月場所 | |||
趣味 | ギター | |||
備考 | ||||
2022年1月26日現在 |
若山 聡(わかやま さとし、1992年4月26日 - )は、千葉県勝浦市出身で、阿武松部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。身長173cm、体重143kg、血液型はA型。最高位は西幕下6枚目(2021年1月場所)。
2013年から2015年まで、篠原(現・天王山)とのコンビで花相撲の初切を担当していた。
来歴[編集]
両親は共に全国レベルの実力を持っていた元柔道選手であったこともあり、幼少期から柔道に親しんでいたが、相撲とも掛け持ちをしており、小学2年生の頃から阿武松部屋で開かれる「キッズ阿武松」に参加していた。拓殖大学紅陵高等学校進学後は相撲一本に絞り、3年次に出場した千葉国体では個人5位に入賞した。高校卒業後は大東文化大学に進学し相撲部に所属したが、相撲部のレギュラー選手と共に錣山部屋へ出稽古に行った際に幕下力士を相手に手応えを感じたことで[1]少しでも早く大相撲でやりたいと考えたため、2ヶ月で退学して阿武松部屋に入門した。[2][3][4][5]
2011年7月場所で初土俵。9月場所は序ノ口で[6]、11月場所は序二段で[7]優勝して、2012年から三段目に定着。2013年4月6日の藤沢巡業で、同じ部屋の弟弟子・篠原とのコンビで初切デビューした。同年9月場所では幕下に初めて昇進するも、1場所で跳ね返された。2015年1月場所で2度目の幕下昇進を果たすと2場所連続で勝ち越しがあり、幕下定着の兆しも見せていたが、同年11月場所の4日目で大輝(現・北勝富士)と対戦した時に右膝前十字靭帯を断裂する大怪我を負い、それ以降は休場が続いた。場所後の12月に手術を受けて以降は入院治療やリハビリを行い、番付外まで転落した2016年11月場所で復帰した[8]。若山が辛かった時、部屋のおかみ(12代阿武松夫人)は多くの力士に言っているように、出場権争いに敗れると試合に出ること自体できない上に研修生は雑用に追われて練習時間を確保することに苦労するゴルフと違って、相撲は稽古時間と実戦の機会を確保できるのであって、それを当たり前だと思ってはいけないと、おかみ自身がプロゴルファーであった経験に基づいて諭した[9]。番付に復帰した2017年1月場所では、5日目に鳴滝に敗れて6勝1敗となったものの、全勝力士がいなかったため、序ノ口の優勝決定戦に進出した。その決定戦の相手が、奇しくも本割で唯一敗れた相手の鳴滝であったが、リベンジを果たして自身2度目の序ノ口優勝を果たした。続く3月場所は序二段で7戦全勝とし、優勝決定戦にも勝って自身2度目の序二段優勝を果たした。2021年3月場所で自己最高位の西幕下6枚目に番付を上げたが2勝5敗と負け越し、翌3月場所4日目の取組で再び右膝を痛め休場[10]、手術を受け5月場所も全休した。その後、土俵に復帰することはできなかった(2021年9月場所の1敗は不戦敗)。2022年1月場所限りで引退[11]。2月20日に断髪式を行い、今後は福祉の専門学校に通う[12]。
主な成績[編集]
- 通算成績:196勝153敗78休(63場所)
- 幕下成績:68勝74敗11休(22場所)
- 各段優勝
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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2011年 (平成23年) |
x | x | x | (前相撲) | 東序ノ口18枚目 優勝 7–0 |
東序二段16枚目 優勝 7–0 |
2012年 (平成24年) |
西三段目19枚目 3–4 |
西三段目32枚目 2–5 |
西三段目60枚目 3–4 |
西三段目75枚目 5–2 |
西三段目46枚目 3–4 |
西三段目61枚目 3–3–1 |
2013年 (平成25年) |
西三段目75枚目 5–2 |
西三段目45枚目 2–5 |
西三段目74枚目 5–2 |
東三段目42枚目 6–1 |
西幕下56枚目 1–6 |
東三段目32枚目 4–3 |
2014年 (平成26年) |
東三段目23枚目 4–3 |
西三段目10枚目 3–4 |
東三段目28枚目 5–2 |
西三段目4枚目 3–4 |
西三段目17枚目 4–3 |
西三段目5枚目 6–1 |
2015年 (平成27年) |
西幕下31枚目 5–2 |
西幕下19枚目 4–3 |
西幕下15枚目 2–5 |
西幕下36枚目 3–4 |
西幕下45枚目 5–2 |
西幕下26枚目 0–3–4 |
2016年 (平成28年) |
西三段目筆頭 休場 0–0–7 |
西三段目61枚目 休場 0–0–7 |
西序二段21枚目 休場 0–0–7 |
西序二段91枚目 休場 0–0–7 |
東序ノ口25枚目 休場 0–0–7 |
(前相撲) |
2017年 (平成29年) |
西序ノ口16枚目 優勝 6–1 |
東序二段32枚目 優勝 7–0 |
東三段目32枚目 4–3 |
東三段目16枚目 3–4 |
東三段目36枚目 3–4 |
東三段目49枚目 5–2 |
2018年 (平成30年) |
西三段目18枚目 5–2 |
西幕下58枚目 3–4 |
西三段目11枚目 6–1 |
西幕下35枚目 2–5 |
東幕下53枚目 4–3 |
東幕下46枚目 4–3 |
2019年 (平成31年) |
東幕下38枚目 4–3 |
西幕下28枚目 4–3 |
西幕下22枚目 4–3 |
東幕下18枚目 4–3 |
西幕下15枚目 2–5 |
西幕下29枚目 3–4 |
2020年 (令和2年) |
西幕下36枚目 4–3 |
西幕下27枚目 4–3 |
感染症拡大 により中止 |
東幕下22枚目 3–4 |
東幕下29枚目 6–1 |
東幕下11枚目 4–3 |
2021年 (令和3年) |
西幕下6枚目 2–5 |
西幕下17枚目 0–3–4 |
西幕下52枚目 休場 0–0–7 |
西三段目32枚目 休場 0–0–7 |
西三段目92枚目 0–1–6 |
西序二段53枚目 休場 0–0–7 |
2022年 (令和4年) |
東序ノ口14枚目 引退 0–0–7 |
x | x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴[編集]
- 若山 聡(わかやま さとし)2011年7月場所 - 2022年1月場所
脚注[編集]
- ↑ 「大銀杏が待っている」、『相撲』2020年11月号、ベースボール・マガジン社、 74頁。
- ↑ 両親は柔道家の若山聡、体格基準クリア デイリースポーツオンライン 2013年6月2日閲覧
- ↑ 力士紹介・若山 阿武松おかみさんブログ 2013年6月2日閲覧
- ↑ 昨年は1人 大相撲の新弟子検査 2人とも体格基準クリア スポニチアネックス 2013年6月2日閲覧
- ↑ 新弟子合格の若山は…大東大2カ月で中退 nikkansports.com 2013年6月2日閲覧
- ↑ 序ノ口優勝は若山/秋場所 nikkansports.com 2013年6月2日閲覧
- ↑ 序二段優勝は若山/九州場所 nikkansports.com 2013年6月2日閲覧
- ↑ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2016年12月号(九州場所総決算号) 90頁
- ↑ 週刊FLASH 2017年11月28日号
- ↑ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2021年5月号(夏場所展望号) 85頁
- ↑ “昭和初土俵の最後の力士、51歳華吹ら25人の引退を発表”. 日刊スポーツ. (2022年1月26日) 2022年1月26日閲覧。
- ↑ 「相撲部屋聞き書き帖」、『相撲』2022年3月号、ベースボール・マガジン社、 68頁。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 若山 聡 - 相撲レファレンス