若山与三

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若山 与三(わかやま よぞう、? - 天正18年(1590年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての医師織田氏家臣

略歴[編集]

若山家は尾張津島で医師を生業とする一族で、室町時代前期には足利尊氏の同母弟である足利直義に仕えて相模足柄郡に所領まで与えられていた。しかし直義が死去すると津島に移り住み、与三まで7代にわたって医師として活動した(『尾張恂行記』)。

天正5年(1577年)6月11日朝、津田宗及の茶会に名を連ねている「尾張、若山」とは与三のことと推定される(『宗及自会記』)。

織田信長に医師として仕えたが、本能寺の変で信長が死去するとその次男・信雄に仕えた。『織田信雄分限帳』には信雄から所領を与えられていたことが確認できる。天正14年(1586年)7月には知行替えされている。天正17年(1589年)1月22日には加増を受けている[1]

天正18年(1590年)の小田原征伐に主君の信雄に従って参戦し、この際に名を図書と改めている。しかし病気に倒れて尾張に帰国し、間もなく死んだという(『張州雑志』)。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. 岡田 1999, p. 260

参考文献[編集]