芳賀高継

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芳賀 高継(はが たかつぐ、? - 文禄元年(1592年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将下野宇都宮氏の家臣。下野国真岡城主。

略歴[編集]

芳賀高経の3男。受領名は伊賀守。兄に芳賀高照がいる。父の死後に益子氏のもとで育てられたため、兄の高照が芳賀高定に殺されていながらも養子となって芳賀氏の家督を継承する。

永禄9年(1566年)、上杉輝虎による常陸国小田氏治攻撃に対し、主君の宇都宮広綱の代理として参戦し、永禄10年(1567年)にも広綱の命令で輝虎側として出陣した。広綱の没後は国綱に仕え、宇都宮氏随一の権限を持って執政を行い、佐竹氏結城氏などの取次を務めた。宇都宮氏はほとんどが反後北条氏の立場であったが、高継は北条氏直と一時期において内通したりしている。しかし小田原征伐の頃には国綱に属して宇都宮氏の存続に努めた。

養子に広綱の3男を芳賀高武として迎え、芳賀氏の家督を継承させている。