胡遵
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胡 遵(こ じゅん、? - 256年)は、中国の三国時代の魏の武将。子は胡広・胡奮・胡烈・胡岐。孫は胡淵。
生涯[編集]
雍州安定郡の出身[1]。文武に優れ、張既に見出されてその推挙で楊阜、龐淯や張恭らと共に魏に仕え、司馬懿に従って諸葛亮の北伐や匈奴の反乱鎮圧、公孫淵の反乱鎮圧で武功を立てた[1]。252年には司馬師の命令で諸葛誕・王昶・毌丘倹と共に孫権が死去した直後の呉に侵攻するが、諸葛恪や丁奉らに迎撃されて敗北した[1](東興の戦い)。255年に毌丘倹・文欽の乱が起こると鎮圧に貢献してその功績により衛将軍に任命されるが、翌年に死去した[1]。
『三国志演義』でもほぼ史実どおりに登場する。