張恭
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張 恭(ちょう きょう、生没年不詳)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての魏の武将。子は張就。孫は張斅。曾孫は張固。従弟は張華。
生涯[編集]
敦煌郡の功曹で、同郡太守の馬艾の死後に長史の代行に推挙され、酒泉郡の黄華や張掖郡の張進らが敦煌を併呑しようとすると張恭は息子の張就を曹操の下に派遣して新しい太守の赴任を要請するが、その張就が黄華によって抑留されたので張恭は従弟の張華に攻撃させ、自らは軍を率いて新しい太守である尹奉を迎えることに成功した[1]。221年に関内侯に封じられ、西域戊已校尉に任命される[1]。明帝時代の太和年間(227年から233年)に死去し、執金吾を追贈された[1]。
『三国志演義』には登場しない。