胡奮
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胡 奮(こ ふん、? - 288年)は、中国の三国時代の魏から西晋にかけての武将。字は玄威(げんい)[1][2]。父は胡遵。兄は胡広。弟は胡烈・胡岐。甥は胡淵。
生涯[編集]
雍州安定郡臨涇県の出身[1]。明帝の時代から魏に仕えており、238年の司馬懿の公孫淵討伐に従い、その功績により夏陽子の爵位を賜り[2]、校尉となる[1]。257年の諸葛誕の乱では大将軍司馬の地位にあり、司馬昭に協力して諸葛誕を斬り殺した[1]。
265年に魏が滅亡すると西晋に仕え、271年に匈奴の劉猛の反乱を鎮圧する[1]。279年からの呉征伐でも平南将軍として参加し、軍功を立てて鎮東大将軍・開府・儀同三司まで昇進した。288年に死去し、壮と諡号を諡された[1]。
娘が265年から274年の泰始年間に司馬炎武帝に貴人とされたため外戚になったが、胡奮自身は余り喜んでおらずむしろ嘆いたという[1]。
『三国志演義』では諸葛誕の反乱鎮圧と呉征伐で登場する[1]。