胡烈
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胡 烈(こ れつ、? - 270年)は、中国の三国時代の魏から西晋にかけての武将。字は玄武(げんぶ)[1]。父は胡遵。兄は胡広・胡奮。弟は胡岐。子は胡淵。
生涯[編集]
雍州安定郡の出身[1]。257年に諸葛誕の乱が起こった際、諸葛誕の援軍にやって来た呉の援軍を奇策で破る[1]。263年に蜀征伐が始まると、鍾会に従って参戦し、陽安関で傅僉を討ち取る武功を立てる。蜀が滅亡すると、鍾会は蜀の旧臣・姜維と手を組んで司馬昭に対して反乱を企て、胡烈は鍾会により幽閉される。部下が食糧を差し入れた際に胡烈は「兵士を全て生き埋めにする計画を鍾会と姜維が企てている」と偽報を流し、それにより胡烈の子の胡淵らが鍾会・姜維らに対して反乱を起こして両者を殺害したので、胡烈は命拾いした[1]。
265年に魏が滅びて西晋が成立すると武帝に仕え、秦州刺史に任命される。270年に鮮卑族の反乱を受けて殺害された[1]。