美濃金山城
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美濃金山城(みのかねやまじょう)とは、岐阜県可児市兼山字古城山1418番211にかつて存在した日本の城である。兼山城とも言われる。別名は鳥峰城(からすみねじょう)、鳥ヶ峰城(からすがみねじょう)ともいわれる。
概要[編集]
標高270メートルの木曽川の左岸に突き出した城山の頂上にあった山城である。そのため、ここから美濃国中部や東部を一望することもできる。
ここに初めて築城をしたのは美濃国を下克上で乗っ取った戦国大名の斎藤道三である。当時は鳥峰城と称していた。後に織田信長が美濃国を支配下に置くと城名は金山城と改められ、腹心の森氏が城主として置かれた。関ヶ原の戦い直前に森忠政が信濃国川中島城に移された後、徳川家康の命令で当時は尾張国犬山城主であった石川光吉に金山城を与えた。光吉は金山城を解体して筏に組み、兼山から犬山まで木曽の清流23キロを流して移築した。慶長年間(1596年 - 1615年)に移築は完成されたが、旧金山城は現在、犬山城として残されている。