米倉弘昌
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米倉 弘昌(よねくら ひろまさ、1937年3月31日 - 2018年11月16日)は、日本の実業家。学位は経済学修士(デューク大学・1965年)。住友化学株式会社相談役、一般社団法人日本経済団体連合会名誉会長、経済産業省産業構造審議会会長、住友化学工業株式会社(現住友化学株式会社)代表取締役社長・会長、社団法人日本経済団体連合会副会長、石油化学工業協会会長、社団法人日本化学工業協会会長、一般社団法人日本経済団体連合会会長(第3代)などを歴任した。
来歴[編集]
兵庫県神戸市出身。東京大学法学部を卒業し、1960年に住友化学工業(現在の住友化学)に入社する。常務、専務を経て2000年から社長に就任する。2009年から会長を務め、2014年6月に相談役に就任する。
サウジアラビアの王族と人脈があり、石油化学プラントを現地に建設するなど、事業拡大の礎を築いた。2011年3月11日の東日本大震災、並びにそれによる東京電力福島第1原発事故では「間違った陣頭指揮で混乱を起こすもとになった」と当時の菅直人内閣総理大臣を批判し、その後に拡大した風評被害対策を緊急に進めるように促した。さらに被災地の自治体とホットラインを結んで物資の支援に尽力する。
2010年から2014年まで経団連会長を務め、国際派として政治的問題から中華人民共和国、韓国との関係改善にも尽力した。
2012年に日本政府による尖閣諸島国有化問題で中華人民共和国との関係が悪化すると、関係改善を目指して人脈を使って尽力した。
2018年11月16日午前11時55分、肺炎のため、千葉県の病院で死去。81歳没。