種徳寺殿
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種徳寺殿(しゅとくじてん、? - 寛永2年6月5日(1625年7月9日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての女性で後北条氏の一族。後北条氏の家臣であった小笠原康広に嫁いだ[1]。
生涯[編集]
父に関しては『寛政重修諸家譜』では北条氏康、それに対して黒田基樹は疑義を呈しており、菩提寺が氏康の弟・為昌の本光寺であることから、為昌の娘ではないかと新説を唱えている[2]。
永禄年間(1558年 - 1570年)前期に康広と結婚した。康広とは仲が良かったのか、1男2女(長男:小笠原長房、長女:伊東政世室、次女:吉良氏広室)を生んでいる。ただ、彼女自身の詳しい経歴は不明である。ちなみに次女の夫である吉良氏広は北条氏綱の娘・崎姫の孫なので、いとこ同士の結婚である[2]。
慶長2年(1597年)に夫が死去した後も長命を保ち、27年後の寛永2年(1625年)に死去している。法名は種徳寺殿恵光宗智大姉[2]。