秋山民部丞
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秋山 民部丞(あきやま みんぶのすけ、? - 天正10年3月11日[1](1582年4月3日))は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。子に弥十郎。民部助とも。
生涯[編集]
『王代記』によると、天文6年(1537年)に小人善四郎と称していたようで、後に取り立てられて秋山民部丞と称したという。
武田信玄・武田勝頼に仕えた。『甲陽軍鑑』では天正10年(1582年)2月の織田信長による武田征伐で最後まで勝頼に従い、田野において戦死した。景徳院の位牌には観応月心居士とある。
なお、母親は武田家滅亡後も生きており、天正10年(1582年)8月11日に供養が行なわれている。
脚注[編集]
- ↑ 『武田氏家臣団人名辞典』東京堂出版、2015年。P25